本丸より(9)

<Broken Hearted>

ピエタ

英語では「恋」と「愛」は同じ "love" という単語を使う。でも、日本語では、「恋」と「愛」はちょっと違うものとして捕らえられている。
辞書をひも解けば、「恋」は“相手を自分のものにしたいと思う感情”とあり、「愛」は“相手を大切に思う、暖かな感情”とある。

それを「恋」と呼んだ途端に、なんとなく、叶わないような、叶わないから「恋」のような、そんな気持ちがどこかにあって、きっとそれは、相手を自分のものに出来なかった時点で実らなかったものとして、失われるからかも知れない。
「愛」は、相手が自分のものになろうとなりまいと、注ぐことができる。だけど、どちらにせよ、一方的に気持ちを注ぐという点では、同じなのかも知れない。

「失恋」を英語では "a broken heart" と言い、直訳すれば「壊れたこころ」。
こころが壊れると、本当に胸が痛むことがある。それで、heartache(心痛)となる。

ヴァチカン。サンピエトロ寺院にある、ミケランジェロ作「ピエタ」。

最初にローマを訪れた時、私はまだ子供で、本場のスパゲティを食べることと、
この、本物の「ピエタ」を見るのを楽しみにしていた。
それから、ローマに行くたびに、クリスチャンでもないのに、
必ずサンピエトロ寺院に行って、この「ピエタ」を見ている。

十字架から下ろされたキリストを抱く聖母マリアの、
無表情な顔が心の痛みを物語っているように、子供の私には見えた。

コロンビア大学の美術史の教授は、
この「ピエタ」は物理的に矛盾があると指摘した。
女性が、死んだ男の体を、あんなに軽々と片腕で抱き、
おまけに涼しい顔をしているのは変だと。

今でも不思議だけれど、私はまるでその場面を見ていたかのように言った。

『だって、キリストは小柄だったから』

私はどの宗教にも属していないし、また、属する予定もない。
ただ、なぜだか知らないけれども、
わたしはあの人を、知っているような記憶がどこかにある。
遠い遠い昔に、確かに知っているような気がする。

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